恋の心理学/恋の診断/恋の真理

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恋はまなざしから始まる。視線に現れる好意

恋心はまなざしに現れるものです。いくら自分の気持ちを隠そうとしても、関心のある異性が近くにいれば、ついついそちらに目がいってしまいます。

パーティ会場などで、まだ知り合っていない男女は、お互いに相手に対する関心をまなざしで伝えあいます。気のある同士なら、ちらちらと相手の方に視線を投げかけ、ときどきその視線がからみあうことになるでしょう。相手の視線をキャッチし、意識していることを示すのも、これまた視線によるものです。相手にその気がなければ、投げかけた視線は無視されてしまうでしょう。離れたところから、すでに恋は始まっているのです。そして、離れたところから、始まる前に終わってしまっている恋もあるわけです。

「相手を見初めた」という奥ゆかしいことばは、恋の始まりをうまく表現しています。とはいえ、これは男性が女性を見初めたというふうに、男目線からの恋の始まりなわけですが。『この世界の片隅に』のすずさんは、見初められてお嫁に行ったのでした。

まなざしは嘘をつけない。本当の気持ちは目が語る

「目は口ほどにものをいう」ということわざがあります。心の動きはまなざしに表われます。言葉や表情は嘘をつくことができますが、視線は内に秘めた気持ちすらも、物語ってしまうことがあるのです。まなざしはつねに真実を語っています。「目は心の窓」ともいいますが、まなざしにはほんとうの気持ちがダイレクトに映し出されるのです。気持が覚めた恋人は相手に「冷たいまなざし」を投げかけます。不実な恋人は、そのまなざしでわかるでしょう。きっと彼や彼女は恋人をじっと見つめることができず、視線を交わすことを避けようとするでしょう。あるいは、目を見ないと嘘をついていると思われるかもしれないということを察知して、じっと目を見て嘘を言い張ることもありえます。ただ、そのときの視線は、必要以上にじっと目を見開いていたり、どこか不自然な感じがするものです。

h2<>何度か視線が合うようなら、勇気を出して近づいてみよう

わたしたちは好きなものや快い刺激をもたらすものに対しては、自然とそちらに目を向けます。そして、何度でもそれを見ようとするでしょう。ところが、反対に嫌いなものからは目をそむけようとします。たとえば、テレビや映画の残酷なシーンや嫌悪をもよおすような情景からは、思わず目をそむけてしまうでしょう。

対人関係にもそのようなまなざしの作用が働いています。対人関係はつねに「見る」「見られる」の関係です。ふつう好意をもっている相手に対しては、まなざしを向ける時間が長いのですが、不快な相手や嫌いな相手からはつとめて目をそらそうとします。相手を見ないことによって、そのひととの関わりを避けようとするわけです。

お互いに好意をもっていれば、少し離れていても視線が交差しやすくなります。婚活パーティなどで、視線がまじわらない相手は、おそらく関心を持たれていないと考えていいでしょう。ちらちらと視線が合う相手なら、勇気を出して、相手に近づいていくといいですね。たぶん、受け入れてくれるはずです。そこからが、親しくなるチャンスです。ぜんぜん視線が合わない相手は脈なしと考えた方がいいでしょう。

好きだけど、意識しすぎて、わざと相手の方を見ない、というか、相手の方を見ることができないという人もいるかもしれません。でも、それは自分で気づいていないだけで、相手には伝わっているでしょう。自分で気づかないうちに、相手のことをちらちらと見てしまっているはずです。



テーマ  恋愛心理
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