恋の心理学/恋の診断/恋の真理

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好きになってしまうと相手の欠点が
見えなくなってしまう「恋は盲目」について


●恋人たちは相手のなかに自分が望むものを見る。
「恋は盲目」といわれます。好きにとってしまうと相手の欠点は見えなくなって、昔からの諺では「あばたもえくぼ」と言われました。

 しかし、恋をしている人は、何も見えなくなってしまうのではなく、自分が望むものを相手のなかに見ようとしているのです。彼あるいは彼女は、相手の特徴のなかで、自分が探し求めているものに関連のあるものだけに注意を向け、それ以外の特徴は無視しようとするのです。そして、見たい特徴だけを誇張し、強調します。自分が見たいものだけをみて、あとは目をつぶり、見ないでおくのです。

 このことに関連した心理学実験があります。男子学生を被験者に、その半数には性的な興奮をそそるような場面の記事を読ませ、残りの半数にはまったく性的な興味をそそらない退屈な記事を読ませました。そのあと、両方の学生たちに女子学生の写真とプロフィールを見せ、彼女に対する評価を求めました。

 すると、性的な興奮をそそるような記事を読まされた被験者たちは、あとの半数の学生だちよりも、その女子学生のことを性的に魅力的であると評価する傾向があったということです。性的な好奇心を抱いている人は、相手になりそうな異性をよりセクシーなものと感じたわけです。
 もし、あなたがある男性から「きみはセクシーだね」といわれたとしたら、それは性的に興味があると言っていることだと受け取った方がよいでしょう。


●直感が教える違和感
 自分か求めているものを相手のなかに見るということが、相互に起これば二人の恋が成就することになります。
それが求めていたものが相手の中に、実際に見つからなかったとしたらどうでしょう?性格の不一致ということで離婚したカップルのなかには、お互いが相手なかに、自分が求めているものを見ようとしたものの、求めるものが実際には見つからなかった、あるいは求めていたものとは違っていたといいうことになるのでしょう。そうなると、結婚したとしても、結局は破局に終わるということもあり得ます。

 最初から直感的には相手とうまくいかない面がありそうなことに感づいてはいても、それが意識の上にまでのぼってこないことがあります。それが「恋は盲目」と例えられる状態ですね。相手のなかから自分が探し求めているものだけを拾い上げ、その直感を意識の底に封じ込めて、直感が教えるある種の違和感を無視して、結婚してもうまくいくだろうと思い込もうとしたものの、結婚の現実は直感のほうが正しかったことを教えることになるのです。

 また、逆に、探し求めているものとは反対のものを、相手のなかに見るという場合もあります。それは手に入れ損なった恋人に対して、満たされなかった自分の恋愛感情を合理化しようとして働くものです。たとえば、好きになった女性に相手にされなかった男性が、その女性のことを性悪女だといって悪しざまに言ったり、あるいは、メールに返事もくれなかった男性のことを、彼のことを好きだった女性が、あの人は冷たい性格だったと思って納得しようとするような場合です。

 これは、取ろうとして手の届かなかったぶどうを「あのぶどうは酸っぱい」と言ったキツネ(イソップの『酸っぱいぶどう』)と同じで、うまくいかなかったことを正当化し、理由づけることによって、欲求不満からくる心の葛藤をやり繰りしようとする心の働きです。

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