恋の心理学/恋の診断/恋の真理

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あなたが愛するのは誰? 愛の対象と愛のタブー

あなたが愛する対象は誰だろう?
どんな相手を性愛の対象と見なしているでしょうか?

数の上でいちばん多いのは男性なら女性、女性なら男性を性愛の対象と見なしているのではないでしょうか。

男女の恋愛はドラマや映画にもなりやすいですね。

最近では、男性が男性を愛し、女性が女性を愛する同性同士の恋愛もわりあい自由に描かれるようになりました。

同性愛はかつては異常なものと見なされ、刑罰の対象であったりもしたわけですが、幸いなことに現代では同性同士の恋愛や結婚も受け入れられるようになってきました。

ある時代やある国、民族の間での価値観は、普遍的なものではありません。時代が変われば、国が変われば、異なる民族の間では、異なる価値観があります。個人が、その時代や国や民族の価値観に合わない特性や指向性、価値観を持っていると、その人にとっては、人生はとても生きにくものになりますね。

古代ギリシャの少年愛、レスボス島の女性同士の愛、日本の戦国時代の少年愛……。

ベネディクト・カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム』(公式サイト)という映画があります。第二次世界大戦でナチスの暗号「エニグマ」を解読し、連合軍を勝利に導熊手に貢献した数学者のアラン・チューリング。同性愛者であった彼は、当時同性愛が刑罰の対象であったために、悲惨な最期を迎えています。

現代日本では、同性婚も認められるところが出てきています。

愛は、愛には、どのような形の愛であれ、寛容であってほしいものです。

どこの国でも、男女の恋愛、それも結婚につながる関係がもっとも推奨されるのは、子孫繁栄という目的にかなうと考えられるからですね。

逆に、愛はなくても、子孫繁栄のための結婚は、それが必要とされ認められてきたところがあります。

日本でも、第二次世界大戦前後は、お見合い結婚が多かったわけです。会ったこともない相手との結婚が決まっていたり、好きでもない人と結婚させられるということがあったわけです。




『聖なるズー』 動物を愛する人々

さて、話を元に戻して、あなたにとって(性)愛の対象は誰でしょうか?

あなたが男であれ、女であれ、それはたいていの場合、人間、ヒトですよね。

ところが、人間ではないものを愛する人々がいる、というのが、『聖なるズー』(集英社)という本に書かれていることです。

『聖なるズー』の著者は濱野ちひろというノンフィクションライターで、京都大学の大学院で文化人類学を学んでいる人です。


彼女はドイツに動物を性愛の対象とする人々がいるということを知り、その人たちに会って、ともに過ごし、インタビューを行い、彼らの愛のありようを理解しようとします。

この本の中に出てくる、動物を愛する人々はとてもやさしい人が多いです。どこか、傷つきやすい感じを持っています。

動物を愛する気持ちというのは、ペットを飼ったり、飼いたかった人にとっては、よく理解できるものですよね。ペットへの愛には、人に対する愛よりも、純粋なものがあります。

だから、人間を恋人やパートナーに選ばずに、動物を人生の伴侶とするというのは、多くの人にとって理解できるものだと思います。犬や猫、日本ではなかなか難しいですが、馬や牛など、身近でともに暮らしていれば、愛情がわくし、そういった動物との絆はとても心が慰められるものですよね。ハムスターのような寿命の短い小さなペットに深い愛情を注ぐ人たちもいます。

ただ、それが性愛の対象でもあるとなるとどうでしょう? 

『聖なるズー』には、馬や犬を性愛の対象とする人が登場します。


 ここでの人と動物との愛はメルヘンではない
 
本来、ペットとして買われている動物にも発情期があります。しかし、とくに日本のような狭い国では、ペットを飼う場合、たいていは去勢や避妊手術が施されていますね。動物にとってそれは自然なことではありません。

ペットを愛する人は、ペットに負担をかけず、もっと自由に行動させてあげたいと思うでしょう。

『聖なるズー』では、飼い犬と「気持ちが通じ合う「」人が、犬とセクシャルな交わりをする話が出てきます。そこまでくると、動物に対する愛情関係について、何とも複雑な気持ちになるものです。動物との性愛というのは、大きな犬や馬のような動物が対象になるわけで、小動物ではなりたたないわけですから。

人よりも動物を愛する、ということはあると思います。人間の男性や女性より、動物との方がよほど心が通うということもありうると思います。動物と暮らす方が慰められるということもあるでしょう。

が、動物との性愛というものをどうとらえればいいのでしょうか? 『聖なるズー』の動物愛者は、それが「フツー」の人びとに受け入れられるとは思っていません。ですから、彼らはあまり表立っては語らないようですが、この本を読んだ後の、読後感、というのは、明るい気持ちになるとか、癒されるという感じではありません。

やはり、そこには何かのタブーに触れているという感じが付きまとい、どことなく漂う暗さが最後までぬぐいきれません。

その一方で、人間同士のような愛にまつわる嫉妬や憎しみ、暴力などとは無縁のように見える、動物との無償の愛のようなものに、心のどこかであこがれてもいることに、気づいたりもするのです。

人間の男女の関係に潜む危険性から離れて、動物との温かいぬくもりのあるユートピアのような愛を夢見ることはファンタジーの世界のことのようにも思えます。

『聖なるズー』は読む人によって、またどんなペットを飼っているか、ペットにたいしてどんな愛情を抱いているかによって、違った印象を持たれることでしょう。


 
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