Self-Love 愛は自己愛から始まる
愛される人になるための第一条件とは何でしょうか?
それは自分を愛することができているかどうかです。
自己愛がなければ、他者を愛することはできません。他者から愛されにくいでしょう。たとえ、人から愛されたとしても、その愛に気づけません。
自分を愛することのできる人こそ、人を愛し愛される人になれるのです。
自己愛というと、利己主義とかナルシシズムという言葉が思い浮かぶ人もいるかもしれません。
利己主義的な人とは、自分の利益をまず第一に考える人のことです。しかし、これは自分を愛することとは違います。利己主義の人は自分の利害だけを考えていて、他人のことを思いやれない人ですから、他人からは愛されないいし、嫌われることも多いでしょうから、自分を大事にできていない人ということになります。
利己主義者の、自分だけがよければいいという態度は、他人を愛せないだけではなく、自分自身をも愛せていないということです。愛は関係性のなかに生じます。つながりこそが愛なのです。
ですが、利己主義的な人においては、他人とのつながりが失わています。人は利己主義的になればなるほど、自ら愛を手放していくことになります。
愛とはつながりのことです。私たちは好きな人とつながりたいと思うものです。恋の相手とは身も心もつながりたいと思うでしょう。どんなにセクシャルな情熱を満たし、快感を共有できたとしても、からだだけのつながりでは愛されているとは思えないでしょう。同時に、心のつながりを求めます。
自己愛はナルシシズムではない。
自己愛といえば、ナルシシズムのことと思う人もいるかもしれません。ナルシストとは自己愛的な人ということですね。しかし、ナルシシズムとここでとりあげている自己愛Self-Loveはまったく別物です。
ナルシシズムの語源についてご存知の方が多いと思いますが、ギリシャ神話のナルキッソスからきていますね。自分自身に恋をし、自分自身に酔いしれる青年ナルキッソス(ナルシス)。泉の水に映る自分の顔を見つめ恋焦がれているうちに水仙の花に姿を変えられてしまったという話です。
このようにナルシシズムというのは、自分だけしか目に入らない、自分だけを愛しているということですね。
でも、自分の事だけしか目に入らず、自分だけを愛しているというのは、それは愛ではないわけです。
愛とはつながりなのです。
ギリシャ神話の青年は、自分自身ともつながっていません。彼は自分を「対象」としてみているからです。
自己愛(Self-Love)があれば、自分を対象として見るのではなく、自分は一つです。自分を愛していれば、自分とつながっていられます。
けれども、私たちはなかなか自分をあるがままに愛せていません。
あなたはこんな思いを抱いたことはありませんか?
・自分は愛されないのではないか?
・好きな人から愛されていないのではないか?
・自分に愛される資格はあるのだろうか?
・こんな自分を誰が好きになってくれるだろう?
また、こんなことはないでしょうか?
・自分で自分を愛せないと思うことがある。
・自分のことが好きになれない。
・自分なんてと、つい自己卑下してしまう。
・自分を雑に扱ってしまうことがある。
・自分で自分を傷つけてしまうことがある。
・愛される自信が持てない。
自分をあるがままに愛せない人は少なくありません。たとえ、自信家に見える人でも、心の奥底ではあるがままの自分は受け入れられていないと感じていたり、素の自分では愛されないのではないかと思い、孤独感を抱えていることがあります。
多くの人が愛に恐れを抱いているのです。その点では、愛に悩むのは自分一人ではないと、私たちは安心していいのかもしれません。
それでは、愛される人になるために、愛することのできる人になるために、私たちはどうすればいいのでしょうか?
まずは自分の外に愛を探しに行くのではなく、自分のうちに愛を探してください。
根源的な恐れが愛されることへの自信と確信を揺るがせる
私たちがこの世に生まれてくるときは、どんなだったでしょうか。それまで母親の胎内にいて、母子一体化した状態のところから、身体的に切り離されることによって、誕生するわけです。
生まれたての赤ん坊はそれでもまだ母子一体感のなかにいるでしょう。母親は赤ん坊にとって愛着の対象です。母親との一体感が保たれている間は、まだ満ち足りた状態でいられるかもしれません。無意識の中でつながりが保たれている状態かもしれません。
けれども、やがて赤ん坊は母親から分離していかなければなりません。母子分離の時期がやってきます。
この母子分離がうまくいかないと愛着障害が生じます。愛着障害については精神分析や心理療法の本など、専門家でなくても読みやすい本がありますので、そちらを参考にしてください。
愛にまつわる問題は原初的なものです。それが誰かを好きになったときにも影響してきます。愛への恐れというのは根が深いものです。
一体感から切り離されたという感覚は、深層心理においてはすでに誕生の時に生じてしまっていることかもしれません。私たちはこの世界に投げ出されたときに、つながりが失われたという感覚をもってしまっているのかもしれない。スピリチュアルな言い方をすれば、宇宙との一体感やなにか自分を生かしてくれているようなものとの、つながりが断たれてしまった感じ……。
そこに生じるのはどういうことでしょうか?
生きていけるのだろうかという恐れですね。生存できるかどうかという……。
つながりこそ愛だったはずなのに、そのつながりから切り離されたとしたら、人はどう思うでしょうか。自分が何か悪いことをしたのだろうか? 自分に何か非があるのだろうか?と思うのではありませんか。
旧約聖書のアダムとイヴの話は、人が神とのつながりを失い、楽園から追放されたて、生きる苦しみを味わうことになったという話です。ここですでに、アダムとイヴの間には互いをいたわり合うような愛が欠けています。禁断の実を食べたことを、アダムはイヴのせいにし、イヴは蛇のせいにしています。
イヴは男のアダムの保身を見てしまいました。これは、以来、多くの既婚たちが夫の中に見てきたものと同じかもしれません。ふたりはともにいながら切り離されてしまっているわけです。
この切り離された感じ、全体性を失った感じ、放り出された感じというものが、私たちの深層心理における根源的な恐れとなって、自分を愛することを困難にし、愛されることへの自信と確信を揺るがせているものなのです。
そこで、人は愛を取り戻すために何かをしなければなりません。子供であれば、親の期待に沿うようにすることで親から愛されようとするでしょう。恋愛関係であれば、相手の気を引くためだけではなく、愛されるために何かをしようとするでしょう。たとえば、自分が魅力的であれば愛されるだろうと思い、外見的な魅力を磨こうとするかもしれません。愛されるために、相手の好みに合わせようとするかもしれません。愛されたいからこそ、相手の言うとおりにしようとし、相手の望む自分になろうとするかもしれません。自分の何かを差し出すことで愛されようとするわけです。
ただ、その根底に自己愛Self-Loveを欠いていたら、何をしても自信がもてないでしょう。付き合っている相手との関係が、愛によるものなのかどうかの区別すらつかなくなるかもしれません。
愛されたいなら自分を愛することから始めよう。
愛されたいと思うなら、自分自身を愛することから始めなければなりません。自分を大事にしましょう。それにつきます。
生まれ育った環境において、とくに親との関係で、自分は愛されてこなかったという思いがある人は自分を大切にできていないかもしれません。そうであるならば、親との関係を見直してみましょう。もし自分は愛されてこなかったという思いがあるなら、あなた自身が自分の親になりましょう。
そして、親であれば、子供の自分をどのように愛するだろうかとイメージしてみてください。その親はリアルな親ではなく、あなたがあなたの心の中で理想とする母親です。母親のアーキタイプ(元型的イメージ)と言ってもいいでしょう。
・その親はあなたにやさしく思いやりに満ちていることでしょう。
・けっしてあなたを傷つけず、あなたを傷つけるようなことからは守ろうとするでしょう。
・あなたが幸せになることを願っていることでしょう。
・寒い時には上着を着せてくれ、疲れた時にはぬくぬくとした寝床を用意してくれるでしょう。
・お腹がすいたら食べさせてくれるでしょう。それも栄養のあるものを。
・けがをしたら手当てをしてくれるでしょう。
・けっして、あなたをモノのように扱ったり、取るに足りないもののように見なしはしません。
・あなたにとってそこはいつでも戻れる場所だと感じさせてくれるでしょう。
自分がただいまここにいるという感覚、ただいるだけでいいんだよと受け入れられている感覚が大事です。それが自分とのつながりの感覚です。
自分自身とつながりを感じられれば、あなたはまず自分を愛することができます。自分を愛することができれば、人を愛する準備もできてきます。愛することのできる人は、同じように愛することのできる人から愛されるよういなるでしょう。
自分を好きになれないまま、自分を愛せないまま、自分を愛している人を探そうとするのは順番が違います。
最後にいくつか、愛を求めているなら、ぜったいにやってはいけないことをあげておきます。
・自分を傷つけたり、自分で自分を貶めるようなことをしてはいけない。
・自分をいじめる人や価値のないモノのように扱う人と付き合ってはいけない。
・DV・セクハラ・モラハラなど、いかなる暴力もハラスメントも許してはいけない。
・他人を傷つけたり、モノのように扱ってはいけない。
・他人の尊厳を貶めるようなことをいったりしたりしてはいけない。
・他人を自分の目的のための手段としてはいけない。
愛はけっして自分や他人を傷つけるようなものではありません。