「ゆるせない」が愛を妨げる
人に対してゆるせないという思いを抱いたことはありませんか?
その思いは、どこか遠くの他人よりも、身近な人に感じやすいのではないでしょうか。
恋人同士の間でも、「ゆるせない!」がありますね。
彼が嘘をついた、許せない。浮気をした、許せない。彼女が二股をかけていた、ゆるせない。
そのゆるせないという思いが恋人との間に溝を作ります。
恋人同士の間に限らず、ゆるせないという思いを持ち続けると、相手とのつながりを経ってしまうものです。また、自分自身とのつながりをも断ってしまいます。ゆるせないという思いの奥にある自分に、触れられなくなるからです。
けれども、人は愛を欲しているものです。愛を求めながら、自分から手放してしまうことの一つが、ゆるせないという思いなのです。
求めていたはずのものを手放してしまった自分に対しても、ゆるせないという思いを抱くかもしれません。
むしろ、自分に対するゆるせないという思いが先にあり、自分をゆるせないからこそ他人をも許すことができないということになるのかもしれません。
愛は自己愛から始まります。→こちらの記事をお読みください(サイト内リンク)。
自己愛=自分を愛すること。自己愛は無条件に自分を受け入れることのできるものです。自己陶酔的なナルシシズムや、自分だけよければいいというエゴイズム、自分をことさらいいものと思ってしまうようなぬぼれとは違い、寛容なものです。
自分を無条件に受け入れることができていれば、周りの人のことも受け入れることができるでしょう。好きな人のことならなおさらです。
愛にはゆるしが必要です。
もし、あなたがある人のことをゆるせないと思っているなら、あなた自身が自分を受け入れているかどうか、振り返ってみてください。
自分自身のどこかを、何かを、受け入れられていないところがありませんか?
その思いが、他人に投影されてしまい、自分は人から受け入れられないのではないか、好きな人から愛されないのではないかという思いにつながっているともいえます。
それは、自分自身に対する焦燥感というか、自分を好きになれない、自分が嫌いという感じかもしれません。
自分をゆるし、うけいれることができていれば、心の奥に自己愛の泉があることがわかります。そこから、自分自身がわきあがってくるような澄んだ泉です。
自分や他人のことをゆるそうと思っても、なかなかゆるせないという人は、ゆるせない自分自身をゆるせないという罠に入ってしまうことがあります。
そこから抜け出すにはどうしたらいいのでしょうか?
「ゆるせない」はどこからくるのか?
こういった心の葛藤の根っこには、たいてい親子関係の問題があるようです。わたしたちは親との関係がよくなければ、無意識のうちに愛にまつわる問題を抱えてしまいます。
誰と付き合っても、最後はうまくいかない。結婚生活が長続きしない。自分は好きな人と一緒になり、幸せに暮らしていきたいと願っているのに、その願いがなかなかかなわない……。
というような愛に迷う人の心の奥には、親子関係にまつわる問題が潜んでいます。それは何も虐待のようなひどいことでなくても、表面的にはふつうの親で、ふつうの親子関係でやってきたという人の心の中にもあるものです。
傍からみれば、いい親らしいけれど、子供の自分にとっては必ずしもいい親ではないということもありうるでしょう。親の性格的な問題や親と子の相性の悪さ、親の権威や独特の感情、押し付け、放任、親の無理解などにより、自分が無条件に愛されてこなかったという思いを抱えている人はたくさんいます。
親同士の仲が悪く、言い争いやケンカが絶えなかったり、家庭内離婚のような形でつながっていたり、親のどちらかが子供のあなたにもう一方の親の悪口を言い続けたり、見下していたりする場合。子供はそういうのが夫婦で、そういうのが結婚生活なのかと、刷り込まれてしまいます。
自分の親以外にモデルがないのです。愛し愛されるということがどういうことなのか。学べない。
親が仲のいい夫婦で、お互いにいつくしみあっている様子を見てきた子供なら、それがモデルになってパートナーや結婚相手を選ぼうとするでしょう。両方がそういうカップルなら、うまくいくことが多いのではないでしょうか。
そうすると、幸せな人はより幸せな選択ができ、幸せでない人はより幸せでない選択をしてしまう可能性があるということになってしまいます。
ゆるすゆるせないの話に戻ると、親との葛藤を抱えている人は、自分自身をゆるす前に、親をゆるさなければならないでしょう。親の限界を認めることです。ある時代に生き、親自身が置かれた環境の中で暮らしてきた、そして自分の親となった、その人たちも精いっぱい生きてきたけれど、それがその人たちの限界だったということです。
わたしたちは理想の親のイメージをもっています。じっさいの親は理想からほど遠いものであっても、親ならこうでしょうという理想の親のイメージがわたしたちにはあります。親の元型的イメージ、アーキタイプがあるわけですね。
誰でも愛についての元型的なイメージを持っている。だから愛することができるのです。
そういう元型的イメージを持っていること自体が人間のすごいところです。その元型イメージをもっていられるなら、わたしたちはどんな親のもとで育ったにせよ、愛とつながりを回復することは可能です。
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恋の心理学